タリンの17時過ぎ・・・街の博物館、美術館等の観光施設が閉館した途端に朝から雪が降ったりやんだりを繰り返していたのがピタっと止まり、笑えるほど夕方から晴れていたり(苦笑)。で、旧市街のど真ん中にある無線LANを使えるバーでプレミアリーグを見ながら早い夕飯をボチボチと。もう終わりかけだけど、見られたのは"ニューカッスルVSリバプール"。席に着いたら、ジェラードが交代していたり(これまた苦笑)。ま、30分後から"チェルシーVSフラム"のカードが始まるからよしとする事で。ただ、気合込みのファンってどこにでもいるものだと痛感。。。今、店内でチェルシーのレプリカ着ている人の率がそれなりにあるし(笑)。
写真は、別途"Greeフォト"(社会人になってからの海外逃亡時の写真を片っ端からULしていたら既に容量不足気味・・・。)と"Age 26..."のアルバム、"Trip_2_Baltic_1Q_2006"へULするとして、簡単にレビューをば。そもそも今回バルト三国を思いついたのは、2年前の1月にスカンジナビアを旅行した時に、"タリンまでヘルシンキからジェットボートで1時間ちょい"の距離であることを知り、僕が10歳くらい前後の時にテレビでソ連崩壊やらベルリンの壁崩壊を目の当たりにしていて、"へー、どうなっちゃうんだろう??"と思っていたのをふと思い出したのがきっかけ。
今回、実際に自分の足でタリンを1日強歩き回ってみた感想は、"時間軸で起きたイベントを全てありのままに"っていうのが第一印象。歴史の薀蓄を並べ立てる気はさらさらないけれども、近代史の中で独立→占領されていた時期(ソ連→ナチスドイツ→ソ連)→独立という系譜があり、建築物、人の話す言葉、観光施設、街を行き交う乗り物を見て痛感。建築物の中で、派手さはないけれども朴訥な雰囲気をかもし出すプロテスタント系教会とロシア正教教会がさほど大きくもない旧市街の中で100m以内に共存していたり、意外と高年層の方々と話すとき(ホテル、観光施設で働いている方は意外とこの年齢層の方が多かったり・・・。)は英語よりもドイツ語のほうが相対的によく通じたり、観光施設での言語表記もしかり(エストニア語、ドイツ語、英語、ロシア語と4種の表記)。。街を行き交う乗り物の共存も似た感じだった。トロリーバスやトラム(見るからに旧ソ連や旧東側のかほりがぷひんとするうらぶれ感満載なボロさ。。)と高級外車(ボルボ、シトロエン、ベンツ、BMV、ポルシェ、日産のスカイライン)が並んで走っていた。
一昔前に熱くなっていた歴史認識の話を書き出すとキリがなくなるし(しかも1つ下のJKSFの超賢い方々から大激怒を買いかねない・・・)止めるけれども、2000年代に入る手前でソ連からの支配から抜け出したと思ったら、2004年にNATOとEUへ加盟。そうしたら、ソ連崩壊前に経済がそれなりにガタガタになっていて復活もしていないところへ物価上昇の嵐と(彼らにとっての海外からの)モノ、ヒト、カネの流入。。歴史的な視点をもうちょっと長めに取るならば中世から東から脅かされていたから、という論理(事実というほうが正しいか??)はあるのかもしれないけれども、資本主義社会の競争ってエゲつなさの底が知れないから、どっちもどっちだと素人が思ってみたり。で、無理をした結論を書くと、"独自性をいかに出していくか"が今後のキーなのかと。
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